すすき/尾花
秋の七草、尾花(おばな)
すすきはイネ科ススキ属の風媒花で秋の七草のひとつです。
日本では古い時代に屋根をふく材料として活用していたことから、茅・萱(かや)と呼ばれる有用植物でもあり、集落の生活圏内には茅場とよばれる専用育成地がひろがっていたそうです。
日本国中どこでもみかけるすすきは、穂が動物の尾のようにみえることから古名を尾花(おばな)といいます。
奈良時代の歌人、山上憶良が詠んだうたは「万葉集」におさめられ、秋の七草をおぼえる虎の巻みたいになっています。
秋の野に 咲きたる花を 指折(およびおり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また 藤袴 *朝貌あさがおの花
(*朝貌については、朝顔、木槿むくげ、桔梗、昼顔など諸説ありますが、桔梗説が有力とされています)
秋に花をさかせる植物たちが彩る野原を「花野」と呼び、散策をたのしみながらうたを詠むのは古来からつたわる雅な娯楽のひとつです。
春の七草とちがって食するというより愛でる花としてえらばれた7つのハーブですが、薬効成分もしっかりとそなわっています。
ハギ:咳止、去痰、胃痛、下痢など。
ススキ(尾花):利尿。
クズ:葛根湯として風邪薬に用いられる、肩こり神経痛にも効用がある。
ナデシコ:むくみ・高血圧。
オミナエシ:消炎・排膿。
フジバカマ:糖尿病・体のかゆみ。
キキョウ:咳止め、去痰、のどの痛み。
ウィキペディアー七草
すすきの薬効については民間につたわる伝承にこれといった文献をみつけることはできていません(いまのところ)。
たぶん利尿作用はたしかにあるのだけれど、それ以外のおいしく飲めてなじみある薬草でじゅうぶんまにあうし、すすきをわざわざ活用することもなかろう、という感じだったのかなと推測しています。
北海道在住のころは8月後半になると石狩海岸にひろがるすすき野原が金色にかがやき、風になびく穂は大量の狐たちが宙がえりしながら遊んでいるようにみえて、空想世界にふけるにはサイコーのエリアでした。
海風にあたりながら月星をながめに、足繁くかよった場所です。
尾花たちの空想エリアをみつけたのは中学生のときで、夏休みも終わりに近づいたころ「そうだ、海へいこう」と思いたち、早朝からママチャリ号で20キロほどの道のりを走りました。
はじめてひとりで遠出したママチャリ冒険は、うしろに流れゆく風景を感じながら「この感覚を知っている」というつよい思いがこみあげてきて、いてもたってもいられない気分になったことを覚えています。
どれほどペダルを強くふみつづけても、このからだには限界があって空をとぶことはできないんだと、中二病を全開で発動しながらしずかに、正しく絶望し、またひとつおとなの階段のぼる日だったのでありますが、金波のようにうねる尾花の草原をみつけたときは、やっぱりこの世界にも魔法はあるんだと確信し、しばらくのあいだ空想世界の狐たちと、とんだりはねたりしてあそびながら「夢想家で感受性がつよい子」と大人たちから(恥ずかしいことなんだよという底意こみで)評される一面を、けっして手放してはいけないと、自身に誓った日でもありました。
里山システム
秋の七草で尾花とうたわれたすすきは、太陽の光がよくあたる湿った土壌ならどこでも元気に生育し、冬は休眠して地上部は茶色く枯れますが、根は生きていて春になると芽吹きはじめます。
過去記事 72候【花鳥風月】清明の候|白木海月@Shield72°公式noteで綴った「葦」とおなじく、刈りとりや野焼きなどして人の手が介入することで、新芽の発育環境が維持できます。
茅場を放置した場所は、樹木が侵入して雑木林になっていくそうです。
むかしの日本は里山林の管理、維持が生活の一部だったといわれていますが、現代日本のしくみでは土地を所有する人の税負担やら資産的にコストがあうのかとか、大地をスパンの短い投資対象として、お金に換算する思考をベースにしていることで、持続可能な循環システムとは真逆の方向に疾走中、という感じがします。
生活と里山(雑木林)とのかかわりが絶たれてから40年近くが過ぎ、人々の自然に対する認識とか森林観といったものは、かなり変化してきているように思われます。最近、自然を守るために森や林には人が手をつけないほうがよいという意見もありますが、この考え方は雑木林を守ることとまったく相反しています。
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伐採されたばかりのところには日当たりのよいススキ草原で見られるミツバツチグリ、キジムシロ、ホタルブクロ、シラヤマギク、ヤマハギ、アマドコロ、クサボケ、リンドウ、カワラナデシコ、一部のキキョウ、オミナエシなどの草原植物が生え、伐採されていない部分との境界付近には、キツネノカミソリ、ヤマユリなどの林縁植物がありました。
森のなかに入れば、林内植物があったのです。
愛知県ホームページ-里山の成り立ちと自然
人が介入することでつくりだされる、陽あたりのよい林床は、さまざまな植生の植物たちが独自のサイクルでいのちをつなぐカーペットになります。
上記引用させていただきました愛知県HPの里山記事には、ヤマユリのサイクルがわかりやすく記載されていました。
おなじように種をおとしてから花を咲かせるまでに8年ほどかかる かたくりも、里山環境のリズムと同期をとって、いのちをつないでいたんだろうなぁ、と改めて思います。
【ハーブ天然ものがたり】かたくり|白木海月@Shield72°公式note
十五夜お月さん、ごきげんさん
十五夜の月見(旧暦8月15日)にはまるいお団子や里芋とともに、すすき をかざる風習がうけつがれています。
江戸時代まえにつかわれていたとされる陰暦では、月の満ち欠けを基本にして日日を数えていました。
新月が月のはじまり、月立ちから朔日「ついたち」、満月は月のまんなかにある15日です。
陰暦では1月-3月が春、4月-6月が夏、7月-9月は秋、10月-12月が冬だったので、7月を初秋、8月は仲秋、9月を晩秋と呼んでいました。
仲秋のさらにまんなかにある中日(15日)を中秋の名月と呼び、その前後の14日から17日の夜を待宵(まつよい)、十六夜(いざよい)と名づけて、名月を鑑賞する習わしが伝承されてきました。
旧暦とグレゴリオ暦にはおよそ1カ月のずれがあるというのは周知と思いますが、2023年9月の満月は29日だそうです。
(8月31日の月は、ことし地球にいちばんちかい満月なので、いつもより大きくて見ごたえありそうです)
大気が澄んで月がうつくしくみえる十五夜のお月見は、「たましい」のうつし鏡である月と、からだにやどる象徴物としての「たま」を、まるいお団子や里芋という創造物で表現(お供え)する年一の儀式だったのではないかと想像しています。
日本人のたまに対する考へ方には、歴史的の変化がある。
日本の「神」は、昔の言葉で表せば、たまと称すべきものであつた。
それが、いつか「神」といふ言葉で飜訳せられて来た。
だから、たまで残つて居るものもあり、神となつたものもあり、書物の上では、そこに矛盾が感じられるので、或時はたまとして扱はれ、或所では、神として扱はれて居るのである。
たまは抽象的なもので、時あつて姿を現すものと考へたのが、古い信仰の様である。
其が神となり、更に其下に、ものと称するものが考へられる様にもなつた。
即、たまに善悪の二方面があると考へるやうになつて、人間から見ての、善い部分が「神」になり、邪悪な方面が「もの」として考へられる様になつたのであるが、猶、習慣としては、たまといふ語も残つたのである。
青空文庫-折口信夫 霊魂の話
たまが分割されて、善なる「神」と、邪悪なる「もの」がうまれたということであれば、まるくて白いたべものは限りなく純質な「たま」に近づけるよう「もの」を創造しましたよ、というご報告みたいなもので、そこに「神」も降臨できるよう、きざはしとしておかれたのが、すすきだったのかもしれないな、と。
地上世界がもっとも密度をましてかたまる仲秋のころ、月の軌道につながる意図(糸)を明確にする(つむぐ)ために、秋にひらく花野の草を天界とのきざはしにして(なかでも すすき は「いちばんつながりやすいよね」的な感性が共有されて)、月見の供えもの定番になっていったのではないかと。
月待ちしたり観賞したり、ねむることなく月を愛でながら夜を明かす行事は、庚申信仰(こうしんしんこう)にも通じるところがあるように感じています。
庚申信仰は青面金剛を本尊とし、掛軸画も多数作られた。
中央に青面金剛を描き、上に日月、左右に猿、下に鶏を配している。
庚申信仰は十干十二支(じっかんじゅうにし)の暦で60日ごとの庚申の日に行われる信仰行事です。
道教の教えがもとにあり、ヒトの体内にすむ三尸(さんし)と呼ばれる虫は、庚申の夜だけ、ヒトが眠りにつくと体内からぬけだすことができ、その人のおこないを天帝に知らせにいくと信じられています。
三尸(さんし)の虫はいつでもヒトのからだから自由になりたいと願っているので、悪行を告口して天帝にヒトの寿命を縮めてもらう魂胆がある、とも。
だから三尸の虫がからだを抜けださないように、庚申の日は眠らず夜を明かすのだそうです。
庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く三尸説(さんしせつ)をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。
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庚申の年・日は金気が天地に充満して人の心が冷酷になりやすいとされた。
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日本には古く平安時代に移入された。
(江戸のころ、もっとも盛りあがったそうです)
ウィキペディアー庚申信仰
庚と申のくみあわせは、十干十二支の60通りある組みあわせのうちのひとつで、十干の庚は陽の金、十二支の申も陽の金で、金の陽気がかさなる日となります。
陰陽五行説では8月立秋から申(さる)の月で陽の金性、9月白露の候から酉(とり)の月で陰の金性にはいり、申酉はもっとも物質的な密度のたかい「金」の五行をあらわします。
十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸・こうおつへいていぼきこうしんじんき)のなかでは、7番目の庚(こう、かのえ)が陽の金性をあらわすので、日本では「かのえ(金の兄)」とよばれるようになりました。
また「庚」の字は同音の「更」につながって、植物の生長がいったんとまり、あたらしいカタチに変化する状態をあらわすとつたえられています。
十干と十二支のくみあわせは60あります。
十干は、 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
十二支は、子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥
60日ごとにやってくる庚申の日は、日本では帝釈天の縁日です。
帝釈天のもとの名まえは雷神インドラ、インド最古の聖典「リグ・ヴェーダ」に登場する、ふるい神さまのひとりです。
雷の系譜にある「たま」から分霊した「かみ」は帝釈天で、「もの」は三尸の虫だったのかもしれません。
月がきれいな秋のころは、金氣がまして実りと収穫に地上世界がにぎわうその一方で、「たま」から陰陽分割された「かみ」と「もの」とのつながりが断ちきられないようにと、雷おちる頻度もましているのかな、と思うことがあります。
すすきはモノの密度が濃くなってかたまる季節に、地表よりすこしだけ空にちかい場所にやわらかい羽毛のような穂をひろげて天界人のお座布団となり、ヒトが地上の金塊だけに埋没してこころが冷たくなりすぎないよう、「かみ」や「もの」の気配を伝えるお役目を担っているのかもしれません。
狐火の 燃えつくばかり 枯尾花
(野原で風にゆらめく枯尾花は、怪しく燃えるこの世のものならぬ狐火のようだ)
与謝蕪村(江戸時代の俳人)
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お読みくださりありがとうございました。
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