aroma72 ハーブ天然ものがたり

魔術から化粧品、厨房から医薬まで。ハーブ今昔、天然もの、所感まじり。

茶の木

日本のお茶、世界のお茶


煎茶に番茶、抹茶にほうじ茶、花茶に紅茶にウーロン茶など、いろんな呼び名で親しまれているお茶のすべては茶の木とよばれる、ツバキ科ツバキ属、学名 Camellia sinensis(カメリア シネンシス) の葉から生みだされます。


茶の木


ヒトが飲用しやすいようにと商用管理された茶の木から、新芽を摘みとったものを中心に、世界中の人々に愛される「お茶」あるいは「ティー」が加工され、まいにちたくさん飲まれています。


お茶の葉は摘みとるとすぐに発酵(酸化発酵・微生物の関与なく茶葉のもっている酵素によるもの)をはじめるので、そのまま完全発酵させたものは紅茶になり、半分くらい発酵したものは青茶(ウーロン茶など)になります。


世界規模でお茶市場をみると紅茶の生産国は20か国以上、市場の70%を占めていますが、日本では茶葉が発酵するまえに葉を乾燥させる、不発酵のお茶が主流です。


そんな日本のお茶文化や喫茶習慣も、茶の湯からわび茶の完成、茶道へとうけつがれ、日常的には家でも店でもイベントや講演会や会議室でも、なくてはならない、というよりあるのがあたりまえの存在となりました。


日本のお茶

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茶葉の発酵は熱処理することで止まるので、新芽を摘んでからすぐに蒸したり炒ったりして手もみする(現代では機械などつかって)ことで、葉のカタチをととのえ、水分を適度にして、成分が出やすくなるよう加工したものは煎茶になります。


熱処理後に石の茶臼で(現代では粉砕機などつかって)挽いたものを抹茶とよびます。


新芽のころに葦簀(よしず)や藁(わら)でおおって、日の光をさえぎりながら育てると、渋みがうすまり、うまみが濃くなる「玉露」となる葉が生成されます。


新芽をそのまま摘むのか、藁を何日かぶせるのか、摘んだのち蒸すか、炒るかでいろいろな日本茶になり、つぎに乾燥工程を手もみするのか、あるいはどんな乾燥機をつかうのかによっても、葉のカタチや色味、味変などおこって、ぐり茶とかかぶせ茶とか名称も変わります。


ほうじ茶はさらに茶葉を焙(ほう)じて香ばしくしたもの。


番茶は番外茶として、若芽をつんだあとに出てくる新芽や、秋の成葉などをつかって加工するものの総称です。


日本には「国菌」と称されるほどの「麹菌」が存在し、それは日本の環境でしか育たないと聞いたことがあります。


腐敗と発酵は紙一重ですが、ヒトにとって毒にならないカビの一種である麹菌は、米麹、大豆麹、麦麹など、味噌や醤油をつくるのに欠かせない、日本食文化のお宝です。


菌による発酵はほかにも、酵母菌、乳酸菌、納豆菌、酢酸菌などがあり、お酒、パン、乳製品、納豆、お酢などをつくります。


自然界に存在している細菌やカビや酵母によってうみだされる、ヒトに有益な発酵食品がふるくから豊富だった日本では、完全発酵した茶葉の風味より、茶の木の植生をそのまんま味わえるような、青々とした新鮮な風味が好まれたのでしょうか。


お茶にふくまれるカテキンにがんを抑制するはたらきがあるとか、コレステロ-ル値を正常にし、血圧や血糖値の上昇を抑え、抗ウィルス作用や虫歯を防ぐ作用、口臭予防にもなるとしてお茶旋風がまきおこった時期もありました。


茶カテキンはポリフェノールのひとつで、種類もたくさんあり、カテキン種類別の効能など、こんごますます健康市場に貢献するようなおどろきの研究結果が発表されていくのだろうと思います。


お茶に利尿作用があることはおおくの人が体感されていることと思いますし、民間療法では風邪の予防にうがい薬として使用されてきた歴史があります。


茶の木

「ハーブの写真図鑑」レスリー・ブレムネス 日本ヴォーグ社



草、人、木をくみあわせて「茶」


茶の木は地球史上における古参ハーブのひとつ。


日本では縄文時代の遺跡で埼玉県の泥炭層遺跡や、縄文弥生混合期の徳島県浄水池遺跡から化石が発見されています。


さらに山口県では3500万年から4500万年前とされる古第三紀時代始新世後期の地層から、茶葉の化石が発見されているそうです。


野生化した茶の木はアジアにひろく分布しており、日本では伊豆半島や九州に自生種がおおいそうです。


晩秋から初冬に白い花を咲かせ、花がおわると結実して椿とおなじように実からは有用なオイルを抽出できます。


原産地はインド、ベトナム、中国など諸説あり、起源がふるいので明確にはなっていませんが、喫茶習慣(お茶の文化)が広まったのは中国からといわれています。


伝説ではBC3000年ごろ即位した炎帝(神農氏 - Wikipedia)により、お茶の栽培がはじまったというものがあり、BC2700年頃にはすでに人類は茶の木を活用していたのだろうと推測されています。


中国最古の薬物学書「神農本草経(神農本草経 - Wikipedia)」にお茶の葉を食していた記載があります。


日本では古い時代の中国(隋、唐、宋)からすぐれた文化を導入しようという気運がたかまっていた奈良~平安時代に、古代中国で受けつがれてきた製法による茶葉がはいってきたと考えられています。


平安から鎌倉時代を生きた臨済宗の開祖、明菴栄西(みょうあん えいさい 1141-1215年)の著作「喫茶養生記」は、お茶の種類や抹茶の製法、お茶の効用などが収載された日本ではじめてのお茶の本です。


茶の木とともに桑についての効能もくわしく書かれているので、茶桑経(ちゃそうきょう)という別名もあります。


ウィキペディア-明菴栄西

宋で入手した茶の種を持ち帰って肥前霊仙寺にて栽培を始め、日本の貴族だけでなく武士や庶民にも茶を飲む習慣が広まるきっかけを作ったと伝えられる。



鎌倉、室町、江戸時代をかけぬけた喫茶習慣は、茶の木の栽培や製法を極めようという仕事人によって、茶園や茶畑がつくられ茶の取引をする茶町が出現して、日本独自の製法による玉露などが生みだされてゆきます。


日本の歴史には一時代をうごかすほどのすぐれた茶人もいらっしゃいます。


ウィキペディア-千利休

千利休(せんの りきゅう 1522-1591年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての茶人、商人。 わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。


武家社会でもてはやされてきた豪華な茶の湯に相対するように、簡素簡略をきわめた「わび」の精神をたいせつにするわび茶ですが、嗜好品や薬の域をこえて、一服のお茶をともに味わうためのとくべつな空間(草庵)が建造され、しつらえやお道具、湯の温度やホストの所作・呼吸にいたるまで、その場にあるすべてを動員して生みだされる「お茶の時間」は、顕現世界と幽玄世界を融合した、今風にいうところの瞑想小屋のようなものだったのではないかと想像しています。


個我をこえた、こころの深いところで通じあうための媒介に、茶の木が選ばれたのは、伝説のとおり古い神さまの采配なのでしょうか。


茶の木の別名に草人木(そうじんぼく)がありますが、草木のあいだに人の字がはいって「茶」というカタチができます。


私的なキテレツ話ではありますが、大木がつらなる森で、樹上にたくさんのふとんを敷きつめている風景がイメージのなかに出てくるときの瞑想はとてもきもちよいものになります。


さいしょにその場所を知ったのは夢のなかですが、ながいこと夢日記を綴っているおかげで、ふとんの森は忘れさることなく記憶にのこり、いまでは瞑想するときの一段目の梯子のように、意識をひろげる練習のあしがかりとなってくれています。


その場所の気配にはどくとくなものがあり、森の風景がみえるまえに「ふとんの森にいくんだな」と、わかることもあります。


たとえば海外から日本にもどってくると、日本どくとくの気配があることに気がついて、自分がどれほど日本の気配になじんでいたのか思い知らされます。


日本どくとくの気配は麹菌をはじめとする、みえないものたちの生命活動のなせるワザでもあるのでしょうし、菌や酵素よりもっと精妙な存在たちによって、醸しだされていると考えることもできます。


日本に「帰ってきた」と感じるのは、その空間で生命活動しているものたちによって自分はできているんだと感じるからだと思うのですが、ふとんの森にもおなじように「かえってきた」と感じられるものが充満しています。


瞑想習慣は20代のころからはじまり、はじめのころは生活音や温度や湿度や香りをちょうどよいあんばいにしつらえていく過程でゆっくりスイッチがはいり、その場を草庵(茶室)みたいな空間に変化させる儀式が必要でした。


儀式はきまった場所にものをうごかしたり、きまった香を焚いたりと、動作がともなうものだったので、瞑想初心者のわたしにとって、じっとしているよりもなじみやすく便利な方法でもありました。


いつからかふとんの森のような、変性意識に入りこみやすい場所のイメージをいくつかもてるようになり、就寝前や目覚めたときはもちろん、飛行機移動や歩いているとき、掃除しているときなども、瞑想の練習ができるようになったと感じています。


樹上のふとんにごろりと横になっていると、世界中が竹馬の友のように感じられてこころのそこから「ほぉ」とします。


なんといいますか「ほぉ」が精一杯、わたしの語彙力では表現がむずかしい感覚です。


樹の上に人がいて、その上に草があるカタチの「茶」の字をみると、ふとんの森をおもいだして瞑想するみたいに「ほぉ」となり、ていねいに淹れたお茶を飲むことも、いまでは瞑想への導入みたいになっているので「ほぉ」となり。


なんともとくべつな「ほぉ」とお茶の風味のマリアージュには、まいにち、たいへんお世話になっております。



ここらで一服


日本茶は明治のころには隆盛を極め花形輸出品にまでのぼりつめました。


しかして植物から生みだされる製品のほとんどがそうであるように、列強国は産業流通界を支配する仕組みを手中におさめ、さらに世界規模のプロモーションの巧みさがあり、日本茶はインドやセイロン産の紅茶におされて輸出量はへってゆき、大正時代から国内消費がメインとなってゆきました。


ゆえに日本の庶民生活に、喫茶習慣が根づいたのは大正~昭和初期といわれています。


西の紅茶文化はたくさんの芸術やエンタメ、そして列強国と植民地と戦争という、二極化された光と影を地球史に刻印しました。


スパイス、ハーブ、果実など、あまりに魅惑的で有益なものは植物界にたくさんあり、独占したくなったり争奪合戦に発展したり奴隷をうみだしたりと、くらい歴史は地球人類のこころにふかくのこっていると感じます。


もとより楽園とよばれる神々の庭を追放された(のか、とびだしたのかわかりませんが)アダムとイブも、あまりに魅惑的な植物の実を食べたという選択によって運命が決定づけられました。


茶の木やさとうきび、バナナに綿の木、コーヒー、カカオ、たばこやゴムの木など、人類を二分して追放した側とされた側、略奪した側とされた側、支配する側とされる側を生みだした元凶は、あまりにも魅惑的な植物たちだったともいえます。


そうして二分された心理を、かたよることなくふかく理解したそのさきに、二極化という呪縛魔法をといて自由になるカギがあるのかもしれないな、と。


陰陽、対極を象徴する歴史人として語りつがれる秀吉と利休のたましいは、たがいに対ついなす番つがいだったのかもしれず、秀吉なくしては利休の才も花開くことはできなかったかもしれません(その逆もまたしかりです)。


豊臣秀吉が向かっていたのは、身のうちにもって生まれたすべての因子を酸化させながら発酵完了させ、陰極まって陽となすことだったかもしれず、それはきっと腐敗にころがる紙一重のところで幾度もぎりぎりの選択をせまられる(天下人への道は)、むずかしいものだったんだろうな、と。


側近として信頼あつく、師としてリスペクトしていた千利休を、武士じゃないのに切腹させた秀吉の心理ははかりしれませんが、現代社会にはおおくの先人がのこしてくれた二極化物語があります。


歴史や伝説、伝承は人類の財産となって、降下したり上昇したりする時代の背景や、浮き沈みする人生を俯瞰してながめ、さまざまな因果、あらゆる心理を統合する機会をあたえてくれるものだと感じています。


アダムとイブの追放劇からはじまった人類史もここらで一服。


ブツがあふれ争奪合戦が軸となる二極分化の世界から、こんどはブツをそぎおとし統合へむかうわびさびの境地へ、時代はゆっくりと舵を切りはじめたよと、ていねいに淹れた日本茶の風味は教えてくれているように思います。


☆☆☆


お読みくださりありがとうございました。
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