aroma72 ハーブ天然ものがたり

魔術から化粧品、厨房から医薬まで。ハーブ今昔、天然もの、所感まじり。

木綿

歴史のふかい栽培植物


処暑の初候にあてられた「わたのガクがひらきはじめるころ」。


アオイ科ワタ属に分類された木綿は、7月ころから花をさかせて8月末から成熟した果実がはじけると、なかからわたにつつまれた種子が外界へおめみえします。


木綿


木綿は栽培種としてふるい歴史をもつ植物で8000年まえのメキシコで栽培されていたと考えられています。


学名 Gossypium hirsutum ゴシピウム・ヒルスタム は、現代社会において世界の綿花生産量の約90%をになう木綿の元種です。


木綿

精油をたらして香り基剤としてつかっている木綿。
右の写真は、わたをほぐして種をだしてみました。
ひとつの房に3つ入っていました。



木綿は繊維植物でありつつ、種子は綿実油として食用もできます。


食用とされる一般的植物オイルとおなじような成分組成で、リノール酸が約55%、パルミチン酸が約25%、オレイン酸が約20%、そのほか微量ながらステアリン酸、ミリスチン酸、α-リノレン酸など、必須脂肪酸が含まれています。


栄養価がたかく熱しても酸化しにくい綿実油は、現在流通している植物オイルにひけをとらない成分内容なのですが、木綿の種子には抗菌・殺虫・抗酸化力をもつゴシポールという成分がふくまれています。


種子にしてみれば土におちた種がつぎの芽吹きのころまで、倦まず腐らず、虫に食われることもなく発芽できるよう、いのちをつなぐプロセスにすぎませんが、ヒト(男性)が食べると避妊作用を発揮するらしく、精製する工程面で採算あわずとなり、ひろく普及することはなかったようです。


現在日本で市販されている綿実油は精製したのち製品化されているので、ゴシポールはとりのぞかれています(と思います)。
ゴシポール - Wikipedia


地上絵で有名なナスカ文明をささえた基盤には、 Gossypium barbadense ゴシピウム・バルバデンス という原生種(こちらは現在、繊維植物として世界5%ほどのシェア)の栽培があったと考えられており、15世紀からのコンキスタドールによるアメリカ大陸侵略がはじまるまで、ネイティブの人々は南米からペルー、西インド諸島で広範囲に木綿栽培を(自分たちのために)していたといいます。


「写真でわかる謎への旅 マヤ/グアテマラ&ベリーズ」辻丸純一 雷鳥社

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木綿はインドでも栽培と紡績、機織りの技法を脈々と受けつぎながら、おおきな産業として発展させてきた歴史があります。


インダス文明跡からは木綿産業の痕跡が発見されています。


古代ギリシャに木綿栽培と布をつくる技法がもちこまれたとき「インドには羊毛が生える木がある」とまことしやかに噂され、貿易品としてヨーロッパに布製品の交易がひろがりはじめた中世の時代には、ウールに似ていることから、羊のなる植物があるのだろうと想像力たくましくしていたそうです。


1350年、ジョン・マンデヴィル(中世イングランドの騎士。中東、インド、中国、ジャワ島、スマトラ島の見聞録『東方旅行記(マンデヴィル旅行記)』の著者として知られる)は、「インドには枝先に小さな子羊がなる素晴らしい木が生えている。枝はとてもしなやかで、子羊が空腹になると枝が屈んで草を食むことができる」と書き記した。

バロメッツは羊の実がなると考えられていた伝説の植物。


日本に木綿がはじめて紹介されたのは799年、もちこんだのは仙人が住むという伝説の国からやってきた崑崙人(こんろんじん)という説があります。


崑崙人は日本各地をまわって木綿の栽培法をつたえ歩いたものの定着することはありませんでした。


とうじの日本は絹と麻布を使用しており、江戸時代にはいってから木綿人気がたかまりをみせ、庶民のあいだでも支持されるようになったそうです。


昔の日本人は、木綿を用いぬとすれば麻布(あさぬの)より他に、肌につけるものは持ち合わせていなかったのである。

野山に働く男女にとっては、絹は物遠(ものどお)く且つあまりにも滑らかでややつめたい。

柔かさと摩擦の快さは、むしろ木綿の方が優(まさ)っていた。

第二には色々の染めが容易なこと、是は今までは絹階級の特典かと思っていたのに、木綿も我々の好み次第に、どんな派手な色模様にでも染まった。

そうしていよいよ棉種(わただね)の第二回の輸入が、十分に普及の効を奏したとなると、作業はかえって麻よりも遥かに簡単で、僅かの変更をもってこれを家々の手機(てばた)で織り出すことができた。

そのために政府が欲すると否とに頓着なく、伊勢でも大和・河内でも、瀬戸内海の沿岸でも、広々とした平地が棉田になり、棉の実の桃が吹く頃には、急に月夜が美しくなったような気がした。


青空文庫ー柳田国男 木綿以前の事


現在、商業用に栽培している綿田は、日本にはほぼなくなりました。


もともと熱帯、亜熱帯の乾燥地帯から半乾燥地帯が生育にのぞましい環境で、木綿の野生種は群生することなく海岸沿いに自生するといわれています。


繊維状に種をつつむ果実(綿花)は、海に流されてもすぐに沈むことなく、どこかの岸に漂着できるようにと工夫した、進化プロセスなのでしょうか。


学術的にもなぜ木綿の種子が表皮細胞を毛綿にして果実となっているのか、明確なこたえは出せないままのようです。


海風にふかれて海岸をコロコロところがるコットンボールを想像すると、陸と海の境界線をおそうじするために創造された、特殊なエーテル成分をまとっている植物なのかもしれないな、と妄想がふくらみます。



4つの位相をもつ木綿の女神


木綿の原生種が自生するメソアメリカには、木綿の婦人とよばれるアステカ神話に登場するトラソルテオトル(Tlazolteotl)という地母神がいます。


草のほうきを手にもつことから浄化の女神であることをあらわし、あたま飾りには木綿の紡錘(ぼうすい)をつけた姿で描かれます。



木綿の婦人トラソルテオトルは、もともとワステカ人が信仰していたイシュクイナメ(木綿の婦人)という4つの位相をもつ女神に由来しているそうです。


ワステカ人はマヤ語族のワステコ語を話し、マヤ文明とはなれて独自の文化を発展させた民族です。


アステカ文明はオルメカ・テオティワカン・マヤ・トルテカ文明を継承しているので、信仰する神々は複雑に習合され、世界は4つの方角によって創生されたという神話は共通するところがおおいです。


4つの位相は方位や四季、四大元素など、地球世界に生きるための空間と時間を定義するものでもあります。


北米やカナダの先住民も4つの位相にそれぞれのトーテムがあり、12歳になるとみずからの精霊をさがす旅にでるビジョン・クエストというイニシエーションをもつ部族がありました。


じぶんの精霊をみつけることで成人とみなされる社会システムは、時間と空間をかたちづくる四季や方位を客観視する視点をもつのに役立ったことだろうと想像しています。


いってみれば地球パークの舞台演出をしている裏方さんたちとなかよくなって、「地球で生きる」とはどういうことなのか、自然界から師事を受けるようなものだったのではないのかな、と。


そうした精霊たちの舞台総合演出家みたいなポジションで、4つの位相をもつ女神は信仰されていたのだろうと思います。


トラソルテオトルは大地と月の女神、豊穣と出産の女神でもあり、8年ごとに催される祭事にはトウモロコシの神とともにトラソルテオトルが祈りの対象とされていました。


ポポル・ヴフを要約すると双子の英雄神(トウモロコシの神)が、巨人や冥府の住人にやっつけられたり、やり返したりしながら、最後は太陽と月になるお話です。

その後トウモロコシから人間を作ることに成功したお話なども収載されています。

マヤ人にとってはトウモロコシが神様であり、人類の祖なんですね。

空中楼閣といわれるマチュ・ピチュ遺跡のほかに、アンデス文明には有名なナスカの地上絵もあり、日本、エジプトと同じく太陽神を脊柱にしている点で、なんとなく親和性を持ってしまいます。


【ハーブ天然ものがたり】ひまわり|白木海月@Shield72°公式note


もうひとりアステカ神話の女神で、トシ(Toci)という地母神もあたま飾りに木綿の紡錘をつけています。


トシは「我々の祖母」「神々の母」「大地の心臓」とも呼ばれ「蒸し風呂小屋の祖母」という別名ももっています。


産婆と治療者の守護神として、浄化の女神トラソルテオトルと同一視されることもあるようです。



現在のメキシコシティは、アステカ帝国時代の都市が築かれた場所にあり、メシカとよばれるナワ族(のなかの1集団)が支配していた土地です。


メキシコの名はメシカに由来して命名されました。


伝説のひとつに太陽神ウィツィロポチトリが、とうじの首都国家コルワカンの主の娘を巫女として招集し、メシカは娘を生贄にしてその皮をはぎ、メシカの若者に着せて地母神トシの格好をさせ、太陽神に仕えさせた、というものがあります。


メソアメリカの神話では、太陽神は生贄として放血やヒトの心臓をもとめる神だったことで有名です。


現代脳でうけとめるにはあまりに衝撃的、野蛮な行為と映りますが、天地をまたにかける神々とともに生きていた時代の人々にとっては、天界につながるきざはしの一助になるホマレある行為でもあったわけです。


たまーにみかける神々のご威光に胸をうたれ、尊崇と敬慕の念が極まって「きみのためなら死ねる」という崇高なこころもちを土台にしたサレンダー精神は、ふつうのことだったのかもしれませんし、菊の花に綿をかぶせて朝露をあつめるように、部族の若者に、木綿の婦人エッセンスを吸収できる巫女の皮をかぶせて、神々との共存システムを維持していたのかもしれないな、と。


若者は紡錘の芯となり大地につながれ、巫女は天界に収穫されて大気中にただよう4つの位相エーテルを糸のようにからめとりながら、部族集団の運命を紡いでいたのではあるまいか、と。




太陽は乙女座に入ります


春の牡羊座から夏の獅子座まで、増えよ育てよの拡散・成長ルートにのってそだちにそだった森羅万象は、処暑の候からはじまる本格的な台風シーズンから最終的に刈りとられるものとそうでないものに選別されます。


刈りとられるものは動物界や人間界にとりこまれ、そうでないものは地球循環システムの肥やしとなって、つぎの春に芽吹くいのちをささえます。


必要なものとそうでないものを選別する最終段階、乙女座の季節は地球世界をすみずみまで観察し、時代ルールにのっとって有用・無用を情け容赦なく選別する、分別月間ともいえます。


おとめ座の原型となったのは古代メソポタミアの星座であるとされる。

紀元前500年頃のメソポタミアの粘土板文書『ムル・アピン (MUL.APIN)』に記された星や星座の記録によると、スピカは「畝」と呼ばれていたとされる。


また、エジプト・デンデラのハトホル神殿で発見された紀元前50年頃の天体図には、 Furrow(畝)とFrond(葉)の2つの星座があり、2人の女性が描かれていた。


「畝」は隣のしし座の尾と鞭、または麦穂を持ち、「葉」は「エルアの葉」と呼ばれる*ナツメヤシの葉を持っていた。


のちにこの2つの女性が統合されて1人となり、それぞれの手に麦穂と葉を持つおとめ座の姿となったと考えられている。


*「ナツメヤシ」は聖書にでてくる「生命の樹」のモデルともいわれ、聖母マリアがナツメヤシの木の下でイエスを産み落としたという文献ものこっています。エデンの園「知恵の実」の対極にある植物の象徴です。


「畝」は地上世界での経験値を示す地図のようなものと考えています。


土元素界に突入して大地をあるくことでつくられた道は、土地神さま・ゲニウスロキとのつながりをたどる指針でもあり、エーテル成分を大地にまきとるための、糸巻き芯を埋めた場所をあらわしているのだろうな、と。


大地を2本の足であるくのは陰陽分割して創造された、肉体という質量重視の小宇宙にしかできないことで、土元素界と上位界をつなぐのはヒトのたいせつな役割なのだろうと考えています。


乙女座がもつ麦穂は大地に根ざす「糸巻き芯」、ナツメヤシの葉は「紡がれる糸」で大気にまうエーテル成分をあらわし、ふたつの象徴物をもつ乙女座は人のカタチをしています。


大地成分おおめの畝と穂、天界成分おおめのエルアの葉、ふたつのシンボルを手にもつ乙女座は、地球世界につかわされた巫女そのものをあらわしているかのようです。


「牡羊座のはじまり・春分の日」に地上世界に突入したポイントから、180° 対抗にある「天秤座のはじまり・秋分の日」という地上世界のどん底にいたるさいごの坂道で、糸がとぎれないよう天にむかう意図を射出しつづけながら、さらに大地との絆をたち切られないように、ふんわり優雅なドレスにかくれた2本の足で、力強くふんばりつづけます。


収穫の季節をむかえるとき、乙女座成分はたぐいまれな観察力をいかして、大地におかえしする成分と、天界に収穫される成分をよりわけているように思います。


乙女座成分はよく「有能な秘書」にたとえられますが、献身的に仕える対象が天仙界ではなく、資本主義社会を形成する組織であれば、神と巫女の関係性がそのまま社長と秘書に投影されるのだろうな、と。


有能な秘書が現実社会で発揮するすぐれた観察眼は、ときに「目を皿のようにして、ひとつも見落としのないように見る」技巧にはまりこみ、見ている自分が見たものにのみこまれてしまうケースもあると思います。


現代版の地球ドリーミング(人類みなで共有している舞台設定のようなもの)は、ヒトが苦しみ恐怖のなかで生きること、昼メロベースのドラマチックな感情中心の関係性を「常識」にセットしているので、世界中の宗教がつたえる地獄とは、人間社会そのものだろうと感じることもあり、乙女座成分の秀でた観察力は、どん底にむかうさいごの坂道で、恐怖に支配された悪夢を絶対的なものとして、とらえてしまう傾向があるように思います。


白黒はっきり線をひいて、暴力や戦争、支配と搾取、ドラッグや人身売買など、とてつもない地獄社会を、自分の世界線から排除することでなんとか均衡をたもつのは、やむにやまれぬ選択のひとつです。


ただ悪夢を排除すると同時に、天意と人智が交わるところの良知も、天仙界からとぎれることなくながれてくる愛も排除してしまうことになり、神はおそろしいだけの存在で、ヒトを罰し、運命に翻弄される人類をみて楽しんでいるのだという糸巻き棒をささえにしてしまい、いつのまにか地獄社会のただなかに、みずからの居場所をきめてしまうこともあるのだろうな、と。


そうして地獄絵図をなめるように観察しているうちに、身のうちにひそむシャドウを認知、理解し、シャドウ・マントをさっそうと羽織れるようになって、悪魔力を自在につかいこなすのも乙女座成分にセットされている底力。


大風ふきすさぶ暴風域に身を投じるような転身劇で、みずからの常識をひっくり返し、悪夢を整理分類、分析しつつ、慎重にのみこんでは天界成分とより分けて、消化昇華で一体化し、優美でありつつ図太く流麗、強力無比な巫女っぷりを開花させてゆくのが乙女座成分の真骨頂です。


生きていることは、人間の恐怖のなかでも最大のものである。


死は、わたしたちの恐怖のなかで最大のものではない。


一番の恐怖は、生きるために危険を冒し、本当の自分を表現することなのである。


私たちが怖れているのは、生きるために危険を冒すことである。



飼い慣らしのプロセスの中で、私たちはりっぱな「おりこうさん」であろうとして、完全性というイメージを作り上げる。



しかし、私たちは、決してこのイメージにフィットしない。



私たちは、他人をもまたこの完全性という尺度で判断する。

当然ながら、誰もこの尺度に合格する人はいない。


「四つの約束」ドン・ミゲル・ルイス コスモス・ライブラリー 星雲社


「四つの約束」ドン・ミゲル・ルイス コスモス・ライブラリー 星雲社


天仙界に収穫される成分は、夏布子の寒帷子(なつぬのこのかんかたびら)のように、現代社会ではまったく役に立たないものですが、まいにち欠かさず少しづつ、みえない糸を紡いでゆけば、精霊(妖怪)や天使(悪魔)や神々(化物)が、むかしもいまも、変わることなく共存していることを思いだし、麦穂とナツメヤシの葉で手織りした、天地をつなぐフシギ布をつくれるのかもしれません。


自然の香りをふくませたコットンボールを糸口に、空気の交歓に身をまかせて、ことしもまた秋分の日をめどに、あたまとこころの断捨離をぽつぽつはじめていこうかな、と思います。


☆☆☆


お読みくださりありがとうございました。
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