aroma72 ハーブ天然ものがたり

魔術から化粧品、厨房から医薬まで。ハーブ今昔、天然もの、所感まじり。

葦(アシ、またはヨシ)

葦原中国(あしはらのなかつくに)


豊葦原千五百秋水穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)
略称 葦原中国(あしはらのなかつくに)。


日本書紀には葦の原がひろがる風景を彷彿とさせるこの国(この世界?)の、はじまりの名前が記されています。


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葦(アシ、またはヨシ)はこの地上世界の素性を明潔に表す、生粋の植物なのではないか、と考えることがあります。


葦原中国は、高天原(たかあまはら)と黄泉国(よみのくに)のあいだに存在する、地上世界のことと考えられてきました。


おつくりになったのは、スサノオノミコトの息子である大国主命(おほなむち)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。


二柱が協力して、山谷を造形し、名まえをつけて、薬やまじないの道を教え、建国したのが葦原中国であると、日本書紀で伝えられています。


古事記では天地のはじめにうまれた最初の二柱神を「葦牙(あしかび)のごと萌えあがる物に因りて」と表現しています。


葦牙(あしかび)は葦の芽のことで、水面からとびだした新芽の先が、牙のように鋭くとがっていることを表します。


多年草である葦は冬期間に枯れて棒立ちのまま地上部がのこり、そのままでは新芽の萌芽を阻むので、葦焼き(野焼き)という伝統行事がありました。


文字通り畑や野っぱら、河川沿いや山裾に火をかけて、枯草もろとも焼いてしまう方法です。


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現代日本では県によって規制があり、手続きが大変だったり原則禁止だったり、近隣住民の理解が得られなかったりと、葦焼きの伝統は廃れつつあります。


野焼きが全国的な伝統行事だったころは、葦牙の生ずる神秘的な風景も、清明のころの花鳥風月、日本の原風景としてあちらこちらで観賞できたのでしょうし、大国主命と少彦名命の依り代として、葦は植物界をリードする役割を果たしていたのではないかと想像しています。


葦のような多年生草本や、生長点が地下にある植物は、地表を焼くことで土の温度が上がり発芽を促され、燃えたあとの炭は浄化力もあり、燃えカスは肥料となり、害虫の駆除もできる、と。(知人農家からの聞きかじりです)


昨今では葦の強力な二酸化炭素吸収力や、土壌の浄化作用が見直され、徐々に葦原を維持するための策として、葦焼きを復活させている市町村もあると聞いています。


葦は地下茎でつながり大群落をつくり、風でたおされてもやわらかな茎は折れることなく、またすっくと立ちあがり天にむかって成長します。


どれほどの強風や豪雨に倒れても七転び八起きして、根にはアレロパシー(他感作用)があるので他の植物の生育を阻みます。


放っておくとどんどん純粋な葦原を広げてゆきそうですが、野焼きのように人の手を借りなければ、スムーズに世代交代ができないケースもあります。


葦は水辺でよく生育し、大きなものは5メートルにも育つそうです。


水中の不純物を吸収し、大地を浄化する作用が高く、鳥や虫や貝、甲殻類など他の生物の棲家として、よりどころとなります。


茎は木質化するもののやわらかく加工しやすいので、日本では古くから茅葺屋根や、葦簀(よしず・葦でつくったすだれ)など、人の住処を支える役目も果たしてきました。


葦の生薬名は蘆根ろこんといい、根茎を天日乾燥させて使います。


利尿、消炎作用があり、民間療法では、むくみ、吐き気止めの薬として利用されてきました。


アメリカの先住民は若芽を野菜として食し、大きく育ったものは根茎を乾燥させて粉にし、水で練ってからマシュマロのようにふくらませて焼いて食べたといいます。


乾燥した根茎は咳、痰、肺の痛みを鎮めるのに役立ったともいいます。



馬上の人が隠れるほどに生い茂る葦の風景を伝えたのは「更級日記」。



『更級日記』(さらしなにっき / さらしなのにき)は、平安時代中期頃に書かれた回想録。

作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女・菅原孝標女。


作者13歳(数え年)の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られている。


***


「いまは武蔵の国になりぬ。ことにをかしき所も見えず。

浜も砂子白くなどもなく、こひぢのやうにて、柴生ふと聞く野も、葦、荻、のみ高く生ひて、馬乗りて弓持たる末見えぬまで、高く生ひ茂りて、中を分け行くに、竹芝といふ寺あり。」更級日記-門出


武蔵の地(関東平野)が湿地・泥地に茂る葦の原だった時代。


海と陸地の境界線も、もっと内陸寄りにあったのでしょう。


なんとも素気なく味気ない描写は、葦原だけが広がっている風景を、なんにもなくて寂しいね、と感じておられる印象が伝わってきます。


この世界が生まれたばかりの天地開闢のとき、創造分化による装飾や、付加価値や、バラエティに富んだ多様性がなんにもない時代に、葦の原だけがひろがっていたとするなら、葦はやはりこの世界のはじまり、高天原と黄泉国から、地上世界である葦原中国をつらぬいて、きざはしとなった初代創造神のエッセンスを強く受け継いでいるのではなかろうかと、妄想逞しくしています。



パンフルート、パンパイプ


葦の英名はReed Grass(リードグラス)。


茎は竹とおなじ中空で楽器になり、葦をつかった楽器も古今東西いろいろなものがあります。


英名のリードは、木管楽器のリード(振動して音源となる薄片)が語源で、多くのリード楽器は古代の葦笛から発展した説があります。


現代でもリードは葦の一種であるダンチク(葦竹・よしたけ)を使用していることが多いそうです。



ギリシャ神話には葦の変化物語があり、牧神パンのトレードマークともいえる葦笛は、女神アルテミスに使える妖精シュリンクスの化身です。


牧神パンとの追いかけっこの末、川辺まで逃げたシュリンクスにパンの手が触れたとき、葦に変化したというお話で、パンは変化した妖精を讃え、その葦で楽器をつくり、現代のパンパイプ、パンフルートの語源になりました。



牧神パンも女神アルテミスも、神々の交代劇でメインストリームからは微妙にずらされてきましたが、古くは広域に信仰されていた原初の神々。


ウィキによると、牧神パンはプロートゴノス(最初に生まれた者)あるいはパネース(顕現する者)であり、原初、卵より生まれた両性の神として、ガイアと天空神ウラノスを生み出した存在です。


パンはギリシャ語で「全て」を意味する接頭語 Pan(汎、すべて、あまねく)の語源でもあります。


ギリシャ神話12柱神とされる女神アルテミスも、古代ギリシア固有の神ではなく、先住民族の信仰を古代ギリシア人が取り入れたものと考えられており、地母神キュベレ(知識の保持者という意)、別の名をKubaba(クババ)といって、フリュギア(現在のトルコ、アジア側)の山岳地帯で山の母、大地母神として信仰されていました。


そんな2柱神が協働してつくられた葦の変化物語は、「葦牙のごと萌えあがる物に因りて」の西洋バージョンなのかもしれないな、と考えています。


日本バージョンの大国主命と少彦名命は行動を共にする神話が多くのこされており、御名のスクナ(少)はオオ(大)とセットになっていて、本性は不二であるものが地上世界でふたつに分かれたことを表現しているという説もあります。


壮大なる創造神話、国生み伝説にいっちょかみしている葦は、笛という楽器を通して、「神のうち」に包まれていた原初の記憶を忘れないよう大気を震わせ、その振動によってたすきをつなぐお役目を、担っているのかもしれません。


極端ないいかたをするなら、葦というパイプ機能によって地上世界はカタチづくられた、と。


その後、次世代の植物たちが登場すると、あらゆる策を講じて種をつないでいく進化プロセスが生み出されますが、地上世界のプロトタイプだった葦には、種の存続競争というプログラムが搭載されておらず、多様性に彩られてゆく地球ルールのなかでは新旧交代をスムーズに自己完結できなかったことから、葦焼きという伝統行事が生み出されたのではないのかな、と。



もとい、西洋バージョンの牧神パンと女神アルテミスの関係性を語るには、太陽神アポロンと半神ディオニュソスは外せません。


アポロンはもともと植物の精霊神であり、牧畜をつかさどる神で、北方遊牧民に起源をもつという説があります。


イケメン男子というひな形キャラに設定される以前は、広域なエリアで信仰されていた土着の牧畜神だったことを思うと、原初両性存在の牧神パン成分多めに、創造分化された神様のひとりなのでは、と考えています。


時代とともに牧神パンは下半身ヤギの妖精、半獣サテュロスと同一視されるようにもなり、半神ディオニュソスのお供として切り離せないイメージがあります。


神話をつなぎあわせると、牧神パンは神さま新旧交代劇でアポロンとディオニュソスに分化した、大元にあたるエネルギーなのでは、と妄想はふくらみます。


地上ルールに則して分化したアポロンとディオニュソスの2柱は、ベクトルは真反対なのにいつでも互いを補完するような、対なる概念として活用されてきました。


アポロンは「形式と秩序への衝動」
ディオニュソスは「陶酔と想像への衝動」


カタチになり、個体化する、造形芸術はアポロン的で粒子っぽい。
逆に個体化したものを陶酔によって永遠のなかに解体する音楽芸術はディオニュソス的で波動っぽい。


対なる概念はたがいをつらぬき、つねに流転することで、ドラマティックな物語や芸術が生み出され、装飾、付加価値、バラエティに富んだ多様性が創造されてゆきます。


さらには男性性と女性性をより明確に分化する創造行為によって、女神アルテミスがアポロンの双子の姉妹に設定されたのではないかと考えています。


アポロンと牧神パンは【ハーブ天然ものがたり】月桂樹/ベイ、ローレル
【ハーブ天然ものがたり】月桂樹/ベイ、ローレル|白木海月@Shield72°公式note|note


ディオニュソスは【ハーブ天然ものがたり】葡萄
【ハーブ天然ものがたり】葡萄|白木海月@Shield72°公式note|note


女神アルテミスは【ハーブ天然ものがたり】よもぎ の記事に綴っています。
【ハーブ天然ものがたり】よもぎ|白木海月@Shield72°公式note|note



神話や伝説は迷路のように複雑に編みこまれ、ところによっては削除され、塗り変えられ、折りたたまれて、文献を研究するだけのとりくみでは神々の素性も本性もよくわからなくなってしまいました。


天地を串刺しにしてつないだ原初神の創造植物が葦だとするなら、葦のエッセンスが奏でる調べは「神のうち」、つまり「多様な現象も不二であり、もとはひとつだった」記憶を呼びさますディオニュソス的波動を、豊潤に含んでいるのかもしれません。


モーツァルトの歌劇「魔笛」に登場するパパゲーノはパンフルートをもち、鳥を串刺しにして女王に献上する仕事をしています。


鳥を霊魂の象徴と考えるなら、鳥という霊界・天仙界につながる串パイプを駆使して、パパゲーノは軸をまっすぐ串刺しにするために、地上世界で七転び八起きする葦(人類)の象徴のようにも思えてきます。


最終的に自分の半身ともいえるようなそっくり女性、パパゲーナに出会うというあたりも「多様な現象も、本性は不二なり」を表しているかのようで、人間は考える葦として、地上世界を右往左往しながら串刺しトライをくりかえすものなのかな、と。


「魔笛」は時代不肖のエジプトが舞台で、善と思っていたものが悪で、悪と思っていたものが実は善だった、みたいな展開があるのですが、結局のところ善悪ってなに?という感覚になります。


俺は鳥刺し パパゲーノのアリア モーツァルト『魔笛』


対ついなして串につらぬかれたものの素性、本性は「あまねくひろがる原初神」から分岐されたもの。


パパゲーノしかり、地上世界しかり、2つに分かれた世界のあいだでパラドックスを行き来して、歪みや矛盾などの「差成分」を引き受けてゆくのが定めというのなら、葦がたぐいまれなる浄化力をもっているのも頷けます。


さまざまに分化して、多様性に彩られた現代社会も、茫漠とひろがる葦の原からスタートしたのなら、「神のうち」につながる記憶は、葦の原(あるいは葦焼きによる熱やけむり)に触れることで思い出せるのかもしれません。


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お読みくださりありがとうございました。
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ハーブのちから、自然の恵み
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