aroma72 ハーブ天然ものがたり

魔術から化粧品、厨房から医薬まで。ハーブ今昔、天然もの、所感まじり。

桃花笑


24節気72候にある桃始笑(ももはじめてさく)では、桃花が咲くことを「笑」と表現したセンスに痺れます。


桃の花


本日3月6日から、24節気72候では啓蟄(けいちつ)の候にはいります。


蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)-冬籠りをしていた虫が出てくるころ
桃始笑(ももはじめてさく)-桃の花が咲きはじめるころ
菜虫化蝶(なむしちょうとなる)-青虫が羽化して蝶になるころ


木偏に兆(きざし)と書く桃は、むかしの桃の種子がかんたんに割れたことから、2つに割れることはめでたい兆しと考え「桃」という字が作られたという語源説があります。


漢字の「兆」は元々は象形文字で、「きざし」(兆候)を意味していた。

動物の骨や亀の甲を焼いて占う亀卜(きぼく)の時に、骨や甲に生じる亀裂の形に象り、占いまたはきざしを意味していた。

この亀裂の形によって、「兆」の字が作られた。



日本最古の桃の種は、およそ6000年前の縄文遺跡から出土されています。


桃は食用、薬用、観賞用、祭祀にと、はばひろく使用されていた記録がのこっており、とくに平安時代から重用されてきました。


江戸時代の百科事典ともいえる「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」からは、日本各地で桃の木が栽培されていたことがうかがえます。


種子の桃核(とうかく)、桃仁(とうにん)と呼ばれる部位は漢方として血行促進に用いられ、花のつぼみは利尿、便秘解消薬になり、桃の葉をつかった桃葉湯(とうようとう)は、暑気祓いとして日本に古くから伝わる療法です。


古事記によるとイザナギが黄泉比良坂(よもつひらさか)で、黄泉の国の住人たちであるイザナミ勢に桃の実を投げて退散させたと伝えられ、桃はすっかり霊力のある邪気祓い果実として有名になりました。


桃から逃げた黄泉の国の住人といっても、さまざまいらっしゃると思うのでウィキを見てみますと、

鬼女の黄泉醜女(よもつしこめ。醜女は怪力のある女の意)を使って、逃げるイザナギを追いかけるが、黄泉醜女たちは彼(イザナギ)が投げた葡萄や筍を食べるのに気を取られ、役に立たなかった。


イザナミは代わりに雷神と鬼の軍団・黄泉軍を送りこむが、イザナギは黄泉比良坂まで逃げのび、そこにあった霊力のある桃の実(意富加牟豆美命[おおかむづみのみこと])を投げつけて追手を退ける。


最後にイザナミ自身が追いかけてきたが、イザナギは千引の岩(動かすのに千人力を必要とするような巨石)を黄泉比良坂に置いて道を塞ぐ。


黄泉比良坂 - Wikipedia


とありました。


桃で追い払ったのは雷神と鬼軍団で、それをいつの頃からか邪気としたんですね。


果実の中心に大きな核のある桃、その内側に種子が入っていますが、種のまわりの空間は竹の中空とおなじように神の鎮座する場所と考えられていました。


神の宿る桃から生まれた桃太郎のお話は、日本民族の英雄ひな型のひとつ。


桃太郎は鬼退治にいってみごと鬼どもを成敗し、たくさんのお宝を手にします。


世界中で勇者の元型となったものたちには、ごろつきの嫌われ者をやっつける武勇伝がもれなくセットになっており、怪物役は勇者が勇者であるためになくてはならない相棒です。


英雄物語は勇者と怪物がいなければ、物語として成立しません。


まさかりかついだ金太郎(坂田金時)には酒呑童子。
ギリシャ神話の勇者テセウスにはミノタウロス。
インド神話の戦士ラーマには羅刹の王ラーヴァナ。
ゲルマン神話のジークフリートには竜。
イングランドの英雄ロビン・フッドには悪政を敷くジョン王。
古代オリエント界の英雄ギルガメシュにはエンキドゥ(2人は戦ったのち互いを認め合い親友になります)。


怪物と勇者は、元はひとつの源から分化したもので、2つに割れた番(つがい)の魂、ゆえに自分が向きあう存在に、いつしか生なってゆくこともあり、プラスとマイナスに分担して互いの領域を生きているのではないのかと、どのお話を読んでも、感じてしまいます。


雷神の元型は世界中にみられ、


シュメール・アッカドのイシュクル、アダド
ウガリットのバアル
ゾロアスターやバラモン、ヒンドゥーのインドラ
ギリシャのゼウス
ローマのユピテル
北欧神話のトールなどなど、


天地を明確に分け、常世と現世の境界線をはっきりさせようと奮起されてきた雷神のお話が伝えられています。


雷はプラスとマイナスに分かれた電荷が互いにむかって放出される一撃ですが、それは天地が分かちがたくつながっている現象とみることもできます。


つながってはいるものの、境界線をきっちりせんことには、天地が割れた甲斐もなし、いつでもゴロピシャドンドンと天地をかき混ぜるような要素は天空側に寄せて、土という固形物や、食物が実る地上世界を登場させたのではないのかな、と。


天地が割れて分極することを「兆」という字に表し、分かれたことによって、ひとつの物語がはじまる舞台がととのう。


兆しや予兆という概念は、そんな風にうまれてきたのかもしれません。


日本では角があり、トラ模様のしましまパンツがコスチュームとして定着し、すっかり鬼と化している雷神さまですが、現代で鬼門とされている丑寅(うしとら)の方角に邪神や悪鬼がいると伝えられてきたことから、牛の角とトラ模様パンツが起用された説があります。


12干支を方位にあてはめると、北東に丑寅、その対極にあるのは南西の羊申(ひつじさる)です。


桃と雷神(桃太郎と鬼)の組み合わせは、元をたどれば互いを補完する分身で、天地に分かれた兄弟分かもしれません。


より純粋で清浄な成分は桃がわに寄せて、それ以外のすべて、つまり正体不明の闇(シャドウ)で鬼がつくられた、と。


地球という舞台で役割分担したからには、互いの領分をまもって融合・癒着しないように、相手を敵と認識してきたのではないのかな、と。


勇者として地上を闊歩する桃太郎御一行様、天空に追いやられ架空の生物とされた雷神や鬼神さま。


勝ったり負けたりの戦い設定もそろそろ古めかしい。


勧善懲悪に嬉々とするのにも飽きてきたことですし、おとぎ話に新風を吹き込んで、未来の子供たちにあたらしいお話を紡いでゆくのも現代人に託された、たいせつな作業なのではないかしらん。


起承転結から一回り大きなサイクルの「起」につながる、終わりのない物語。
循環する生命、すべてとのつながりを基盤にしたあたらしいひな型。


「物語」というふわりとしたものが、人の心理、つまり社会の基盤になって、歴史という物語を生んできました。


いまに伝えられる世界中の神話や古典文学をもとにして、人工知能に読書感想文を書いてもらったら、喜怒哀楽や、個人的得意分野、好み、プロパガンダに偏らない解説がでまわって、地球社会という枠を客観視する視点が、スタンダードになるのかもしれません。


人工知能と共存してゆく近未来では、人が豊かな感受性と引き換えに記憶合戦に溺れて、ただ「知っている」とか「覚えた」ことで点数づけされる制度もなくなってゆくように思います。


情報を記憶して分類、整理、データ化するのは AIの方が断然得意でしょうし、次の舞台での人類の役割は、対象をみるときの解像度の高さや、大局的で有機的なつながりを想像すること、「常識」「通念」「きまりごと」枠で、考えることに制限がかかっていた分野に疑問を投げかけること(フシギやなぞや違和感の正体を堂々と探求するとか)あたりに集約されているのではないのかな。


技術的特異点 - Wikipedia


わたしはよく、アーサー・C・クラークの第三の法則を思い起こす。

「十分に進んだテクノロジーは、魔法と区別がつかない」というものだ。J・K・ローリングのハリー・ポッターを、こうした観点から考えてみよう。たんなるおとぎ話かもしれないが、これからほんの数十年先に実在する世の中を、けっこうまともに描いたものかもしれない。


「ポスト・ヒューマン誕生:コンピュータが人類の知性を超えるとき」

レイ・カーツワイル


シンギュラリティ(技術的特異点)について語れるほどの知識は持ちあわせていませんが、SNSや書物で流布している情報をひろいあつめて、いまのところ私が思うのは、あいまいなものはすべて「鬼」などの、これまたあいまい存在に背負わせて忌み嫌い、禁忌エリアに蓋をする、というグレイゾーンありきの生活スタイルは「あまりにフェアじゃないよね、うちらいままでどうかしてたんじゃない?」という人が増え、消えていくのではないのかな、と考えています。


太陽が魚座を背にする啓蟄の候、桃花が笑うように、魚座的ファンタジーの大盤振舞をとくと味わいつつ、新しい一年の幕が切っておろされる牡羊座のはじまり(春分の日)にむけて、笑い、踊り、歌うよろこびに浸るウォーミングアップを、のこりの15日間も存分に楽しんでゆきたいと思います。


☆☆☆


お読みくださりありがとうございました。
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