aroma72 ハーブ天然ものがたり

魔術から化粧品、厨房から医薬まで。ハーブ今昔、天然もの、所感まじり。

ティトリー 光と影はふたつでひとつ

陰陽の極にふりきるハーブたち


Tea Treeを直訳するとお茶の木ですが、ハーブティにティトリーが見られないように、お茶の木として愛飲されてきた歴史はありません。


オーストラリア原産 ティトリー



農場育ちのスコットランド人で、一介の水兵からイギリス海軍の航海長まで登り詰めた探検家、通称キャプテン・クックがオーストラリア大陸に上陸したとき、お茶代わりに飲んでいたのでティトリ―と呼ばれるようになったというのが有力な説です。


先住民のアボリジニがティトリーを「ti」と呼んでいたので「ti tree」⇒ティトリーと名がついたという説もあります。
とはいっても、先住民アボリジニの人々に、植物をラベリングして学名をつける発想はなかったと思いますので、ティトリーの木だけを指して「ti」と呼んでいたとは限りません。
今でいうフトモモ科メラレウカ属を総称して、「ti」と呼んでいた、とする方が自然な感じがします。



オーストラリア原産のフトモモ科では他にユーカリの木が有名です。
ティトリーと同じ1.8-シネオールという成分を多く含んでおり、シネオールは別名ユーカリプトールとも呼ばれます。
アロマ業界では去痰、抗菌、抗ウイルス、抗炎症、免疫調整作用があるとして、風邪の予防や体調管理レシピに欠かせない精油です。



アボリジニはティトリーの葉を傷薬として用いてきた長い歴史をもっています。
感染症の初期症状や予防に良いとされ研究が進み、1949年、ティトリーは「英国薬局方(医薬品に関する品質規格書)」に掲載されるようになりました。
刺激作用が少なく薬効が高かったことで、第二次世界大戦中、オーストラリア兵の救急箱の常備薬になり、今では抗感染力、抗真菌力、免疫賦活作用ほか、さまざまな皮膚症状にも研究がすすめられています。
フトモモ科メラレウカ属は、オーストラリア原産の、この気候風土でしか育たない植生によって、独特の精油成分をもっています。



メラレウカの語源は古代ギリシャ語のメラス(黒)、レウコス(白)からきています。
オーストラリアはブッシュ・ファイヤーといって野草種の森が自然発火する時期があります。
黒灰をかき分けて芽吹きだす、新芽の鮮やかさ、ペーパーバークと呼ばれる幹の白い木々が、こげ茶黒い背景にところどころ輝いて、ひときわ目を引きます。


ブッシュ・ファイヤーの跡地は、数か所、散策したことがあるのですが、焼け跡がくすぶる大地の色合いに、白と黒のコントラストが確かに印象的でした。
出火するまでは、かたい殻で次世代の種を包みこみ、乾燥や日差し、動物や虫から身を守り、炎によって自らを焼き切って、種を大地に落とす。
気候風土に合わせた工夫だろうと、現地の方は仰っていましたが、陰陽の極にふりきって、行けるとこまで行き切る、そして工夫するという姿勢は、「人が行ける果てまで行ってみたい」ということばを遺したクック船長に、どこか似ているなぁと感じました。



目線を解き放つ


オーストラリアでは、低木が生い茂る野草の林をブッシュと呼びます。
西海岸のパースからモンキーマイアまで約850㎞の道のりを、1度はバスで、2度目はレンタカーで走りました。
道中目にするのはほぼほぼブッシュです。
同じような風景が延々と流れていき、動いているのか止まっているのか、わからなくなることがあります。
焦点の合わない視線で風景を眺めていると、ときおりぴょこんと、誰かが立っているような錯覚に襲われます。
ちょうど人の背丈くらいで、人の頭ほどの枝葉をもつ木を、ブッシュボーイと呼ぶんだと教えてもらいました。


ぼんやり見ているとブッシュボーイは次々に現れるのですが、他の木と、なにが違うんだろう、なぜその木だけ人の気配がするんだろう、よぉし、違いを確かめてやろう!と選別脳を働かせ、目に力を込めて凝視すると、ブッシュボーイの気配は全く感じられなくなります。


そしてまたブッシュボーイのことなんて忘れて、単調な景色に没入し、ぼんやりしていると、不意に「あれ、いま人が立っていなかった?」と、ありえない光景を垣間見てしまうのです。



受容できない概念は、見ることができない


何かを見定めようとか、ありえないものには理由があるはずで、それが何なのか突き止めてやろうという目線に、ブッシュボーイは答えてくれません。
今自分が見ているものがすべてではなく、自分が認知できるのは、実のところこの世界の、ほんの一握り、、いえ、もしかしたら小指の先ほどなのかもしれない。
そんな考えを裏付けるのは、江戸時代後期、ペリーの黒船が日本にやってきたとき、多くの人には黒船が見えなかったという有名な逸話です。
船とはこういうもの、という自分視点を拡大できなかった人々は、その大きさや、鉄が浮かんでいること、蒸気で動いていることなど、想像もできなかったのだと思います。


眼球に映し出される映像は脳によって処理されますから、見る=脳が認識する、ということと、「在る」「存在する」ということは、別のことなんだろうと思います。



食べる=地上成分強化=この世界を受容する


小さい頃は食の細い子供でした。
子供時代特有のミエナイオトモダチが常に周囲にいて、ソレは映画や小説にあるようなコミュニケーション可能な存在ではなく、得体のしれない、形のはっきりしないモノたちでした。
今風にいうなら、メンヘラ・コミュ障的な存在です。
自分がそのような子供だった故に、そのように感じていただけかもしれません。
ともかくソレを「見てしまう」恐怖でいつもびくびくして、暗闇で「見てしまう」確率が高かったので、毎夜寝るときには頭からすっぽりと布団をかぶり、「なんもいない、だれもいない」と念仏のように唱えていました。


小学校に入って間もないころ、夕飯(ジンギスカンだったと思います)を、人生ではじめて「食べ過ぎた」と感じるほど食べました。
すると不思議なことに、その夜はミエナイオトモダチの気配が感じられず、布団のなかで縮こまって丸まることなく、あおむけで、手足を伸ばして眠ることができました。
そのことがあってから、ご飯をしっかり食べればソレはいなくなるんだ、と思うようになり、食は普通になり、小学校では友達がたくさんできて、遠足や運動会を楽しみ、一般的な習い事にもせっせと通う、ごくふつうの子供になりました。


いつしかミエナイオトモダチの気配はすっかりとなくなり、暗闇を畏れることを忘れた大人に成長しました。



白と黒、光と影はふたつでひとつ


ティトリーは今や英国薬局方に掲載されるほどの精油界のエリート。
日の当たる表街道をまっしぐら。
研究開発によって、成分解析もどんどん進んでいます。
一つの精油に含まれる成分は数十~数百といわれ、今後も人類は植物のエリキシルを、どんどん分類・定義してラベリングし、学名もコロコロ変えながら、活用していくのだろうと思います。


その一方で、分類・定義とは真逆のベクトルを働かせて、学術視点のこだわりから自由になろうとする、新しい潮流も、確実に動きはじめています。
日の当たる表街道も、日陰の裏街道も、長い長い時間のなかで、陰陽極まっては転ずる現象にすぎず、ソレは表裏一体、元はひとつ。
どちらか一方だけでは、全体を見ることはできません。


ティトリーの芳香は、いつでもブッシュボーイのいる森にいざなってくれます。
そして「畏怖の念や、畏敬の念を、忘れてはいけないよ、光と影はふたつでひとつだから」と、ささやきかけてくれるのです。


☆☆☆


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*当ブログで紹介している植物の一般的な性質は化粧品の効能を示したものではありません。